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鯖江の眼鏡のはじまり

眼鏡産業は1905年、ひとりの女の子を助けたことからはじまり、今では世界三大産地の一つにまで成長しました。
今もなお多くの職人技が残る眼鏡づくりは、熟練の職人から次の世代へと長年にわたりその技術を継承し続いてきた伝統産業でもあります。

鯖江の眼鏡産業は、今から100年少し前の1905年、福井にはまだ電気も車もない時代、冬の農閑期に出来る仕事としてうまれました。
はじまりは増永五左衛門が持ち込んだものといわれており、彼は細かい眼鏡のパーツを見て、これは村の宮大工にしかできない技術だと思いました。しかし、増永はそれまでにいくつも事業を失敗しており、それを知っている宮大工は何度お願いしても断る一方。

それでもとお願いをしにいっているとき、宮大工の家に、学校に行っていない10歳の娘がいることに気が付きます。その子は、学校に行っても文字の書き写しが出来ず、先生に「知恵遅れだから、もう学校に通わせないでください」と言われ迫害を受け、学校には通わず家事の手伝いをしていたのです。

そんな彼女の動作・しぐさを見ていた、増永五左衛門の弟は、もしかしてこの子は目が悪いんじゃないだろうか、と思いました。そこで、その子に眼鏡をかけさせてあげると、彼女は涙を流してこう言ったのです。

「お父さんとお母さんの顔が見える。」

その子は頭が悪いのではなく、ただ生まれつき目が悪いだけだったのです。
このことに感銘を受けた宮大工は

「わかりました、やりましょう。」

とここから鯖江の眼鏡産業は始まりました。
当時、医療も発達しておらず、目が悪いのは老人だけだと思われている時代でした。

眼鏡は体の一部になるのもなので、もっといいものを作るこの精神で鯖江の眼鏡産業は世界三大産地にまで成長しました。

この思いを後世に伝えることが、私たちの使命です。